角煮がうまい
2006年11月28日深夜2時。ひさしぶりにディラン。角煮を食べた。
今日は、ボランティアではじめて日本語教師をした。
オーストラリアの人。
はじめてにしては悪くない出来だったと思うと自画自賛。
12月まであと2日。
今日は、ボランティアではじめて日本語教師をした。
オーストラリアの人。
はじめてにしては悪くない出来だったと思うと自画自賛。
12月まであと2日。
Most of the time
2006年11月27日空虚な部分を完全に埋めるのは、無理だと思う。
埋めきった場所は、いつのまにか、空洞になっている。結局のところ、癒しによる「穴埋め」は、それに対してさらに空虚な気分を抱いてしまうような、いたちごっこにしかつながらないと思う。
ならば、それ自体を見つめるしかない。
空虚である部分を、空虚である所以を受け止めるべきなのだと思う。
目をそらさずに見てみることで、救われるかもしれない。
その構造を、少しでも変化することができるかもしれない。
って、そんなこと書いてあった。間違ってなければ、そんな解釈。
現実を認識して対峙していけば、たまに幸せを感じる時もあるはず、ってそう思わんとやってられん。
空虚な気分になっても、そっから脱出すればいい。時間がかかっても、努力する気力と体がある間は、それだけで生きていけるはずだと思う。そんな気力を持てなくなったときがやっぱ、キツイ。
今まで、絶体絶命な状況に置かれたことがないから、こんなお気楽で青臭い認識を晒せてるのかもしれないけど。
べつにいいや。
追記
実際、癒しや逃避を求めたいときばっかだ。
じゃなかったら、あんなポップミュージックばっか聴いてないと思うし、こんな現実から隔離されたものに、自己満足な文章のせてないと思う。
埋めきった場所は、いつのまにか、空洞になっている。結局のところ、癒しによる「穴埋め」は、それに対してさらに空虚な気分を抱いてしまうような、いたちごっこにしかつながらないと思う。
ならば、それ自体を見つめるしかない。
空虚である部分を、空虚である所以を受け止めるべきなのだと思う。
目をそらさずに見てみることで、救われるかもしれない。
その構造を、少しでも変化することができるかもしれない。
って、そんなこと書いてあった。間違ってなければ、そんな解釈。
現実を認識して対峙していけば、たまに幸せを感じる時もあるはず、ってそう思わんとやってられん。
空虚な気分になっても、そっから脱出すればいい。時間がかかっても、努力する気力と体がある間は、それだけで生きていけるはずだと思う。そんな気力を持てなくなったときがやっぱ、キツイ。
今まで、絶体絶命な状況に置かれたことがないから、こんなお気楽で青臭い認識を晒せてるのかもしれないけど。
べつにいいや。
追記
実際、癒しや逃避を求めたいときばっかだ。
じゃなかったら、あんなポップミュージックばっか聴いてないと思うし、こんな現実から隔離されたものに、自己満足な文章のせてないと思う。
ストレンジャー
2006年11月25日今日はバイトだった。
けど、かなり進んだ。推薦状は、あと1通。
昼間はあまりいい気分じゃなくて、図書館に着いた早々帰りたくてしょうがなかったのだけれど、今日はいい日だと思う。
推薦文を書いていただいたお礼に、大学のゼミの先生の本を買ったのだけれど、思ってたよりとても面白い。
買ってよかったと思って、「あ、お返しになってないな」と思った。
追記
ボブ(仮名)さんに、自分が書いたものを直してもらった。
翻訳は、むずしいなぁと思った。
奥さんがピクシーズのファンで、2枚アルバムを借りた。
音楽や映画の話ができる人たちが街にいることがわかって、うれしかった。
けど、かなり進んだ。推薦状は、あと1通。
昼間はあまりいい気分じゃなくて、図書館に着いた早々帰りたくてしょうがなかったのだけれど、今日はいい日だと思う。
推薦文を書いていただいたお礼に、大学のゼミの先生の本を買ったのだけれど、思ってたよりとても面白い。
買ってよかったと思って、「あ、お返しになってないな」と思った。
追記
ボブ(仮名)さんに、自分が書いたものを直してもらった。
翻訳は、むずしいなぁと思った。
奥さんがピクシーズのファンで、2枚アルバムを借りた。
音楽や映画の話ができる人たちが街にいることがわかって、うれしかった。
さむすぎる
2006年11月24日今日は隣町に行ってきた。
図書館で調べものをしたり、本屋に行ったりしたあと、英会話教室に行った。たまたま、札幌から来ていた先生が、グラスゴー出身で、モグワイやらベルセバやらの話をして、ちょっと楽しかった。オススメバンドを教えてくれた。
あと、ウィリアム・ブレイクって詩人を薦めてくれていたのだけれど、まだ見てない。
追記
ボランティアで日本語を教えることになった。
1対1で教えるのだけれど、学習者は50歳以上のおっさん。
今日は、時間と場所と教科書を決めた。
図書館で調べものをしたり、本屋に行ったりしたあと、英会話教室に行った。たまたま、札幌から来ていた先生が、グラスゴー出身で、モグワイやらベルセバやらの話をして、ちょっと楽しかった。オススメバンドを教えてくれた。
あと、ウィリアム・ブレイクって詩人を薦めてくれていたのだけれど、まだ見てない。
追記
ボランティアで日本語を教えることになった。
1対1で教えるのだけれど、学習者は50歳以上のおっさん。
今日は、時間と場所と教科書を決めた。
リアカーをひいて歩こう
2006年11月23日 読書内容(「BOOK」データベースより)
“リヤカーマン”と呼ばれる若い冒険家・永瀬忠志さんは、一年がかりで歩いてアフリカ大陸を横断・縦断して、一万一千キロの旅を達成した。小学生のころからの夢だったこの冒険を、永瀬さんはどのようにして実現させていったのか、また、どのような方法で旅をつづけていったのか―これは、その記録である。小学中級から。
内容(「MARC」データベースより)
"リヤカーマン"と呼ばれる著者は、1年がかりで歩いてアフリカ大陸を横断・縦断して、11000キロの旅を達成した。子供の頃からの夢だったこの冒険を、どのように実現させていったのか? これは、その旅の記録である。
永瀬 忠志 【NAGASE Tadashi】
1956 年、島根県生まれ。90年11月の「地平線報告会」第133回報告者。83年、徒歩でアフリカ大陸横断。さらにサハラ越えを目指しながらリヤカーを盗まれ 6700キロ地点、216日めに断念する。6年後、89年6月にケニアから旅をやり直し、アフリカ大陸を横断、サハラを縦断してパリの凱旋門にゴール。リヤカー「田吾作3号」の総重量は220キロ、歩行距離1万1100キロ、376日間を歩き続けた。
今、彼のブラジルでの冒険を特集した番組を見た。
長瀬さんのやってきたことに心を打つ人もいれば、なんとも思わない人もいるだろう。それは、その人の考え方だと思う。
でも、自分の損得だけで考えていたら、彼のような生き方は絶対にできないと思う。せいぜい、社会的な文脈の中に埋もれてなんとなく生きるだけだ。
ただ、それだって、十分にむずかしいし。そんなふうに生きることを、完全に拒否できるのは狂人くらいだと思うけれど。
今日は、昨日よりもマシな気分だ。部屋の掃除には時間がかからなかった。出願用のエッセイは、未だに完成していないけれど、すこし進んだ。
人が言ったことを理解することは、送り手の表現しようとした内容を再構築して追体験することらしい。”理解”の定義は、色々あるけれど、今日探してみたなかで、自然言語理解の分野に近い、その定義が一番しっくりきた。
自分の中で意味の再構成をするためには、送り手と共有する部分がなければ無理だってさ。たしか、そんなことが書いてあった。
理解できないことばっかで、ほとんどがほったらかしだ。
なかには「わからないから面白い」という部分も、もちろんあるだろうけれど、わからず屋にはなりたくないと思う。
追記
茂木健一郎のクオリア日記というのをたまたま見つけて、旅について書かれた部分を読んで、冒険をすることと社会の文脈を離れることも、ちょっとつながっているのかなと思った。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/01/post_29.html
Amazon.co.jp
フガジファンなら既に知っていると思うが。イアン・マッケイによれば、これこそオリジナルのゴスペルなのである。このワシントンDCのカルテットは他の誰よりもハードに早くフランクにヒットする。そしてだれよりも早く強引に押し分けて進んでゆく。マッケイはカリスマティックであると同時に対決的であることに成功しているし、素晴らしくまことにファニーな言葉の脱線を心臓発作みたいにシリアスな歌詞におりこんでいたりする。バンドはライル・プレスラーのたじろがせるようなギターにリードされマッケイを最もタイトでカミソリのはのように鋭い音へとマッケイを押し出していく。パンクの殿堂の誰も、彼らのIn My EyesやOut of StepそしてSalad Daysには近づけないだろう。完璧なまでに絶対必需品。
朝起きたときに、死にたいと思う状況って、あんまり幸福じゃないと思う。とりあえず、歯を磨いてみたが、死にたい。
とりあえず、朝ごはんを食べてみたが、死にたい。
リビングには誰もいなくて、かき混ぜた納豆の表面の泡がプチプチと音を立てたから、余計に悲しくなった。このまま、毎日必要以上のカロリー摂取して順調に増やした贅肉さらして、開き直ったように自分の快楽ばっか求めて、刹那的に生きて、センチメンタルに「古き良き時代」ばっか振り返る。そんなクソみたいな人間になんかなりたくない。
って、そんなふうに空回るばっかの見栄と強がりしか持ってなくて、どうしようもねぇなぁ。と思う。どうしようもねぇよ。自分のことしか考えてねぇし、独善的だし。
マッケイの思想とは遠ざかってるから11月22日はサラダ記念日。
イエス、字余り。
下り坂の気分のせいにすれば、先延ばししていいのかよ。
言葉と戯れても、時間の無駄だってことだ。
たしかに、こんなことやってるほうが空虚だね。
まずあの部屋を片付けるべきだ。その後に考えよう。
つーか、トルコ行進曲を聴こう。
追記
もう、気にしない。ようにしたい。
つーか、部屋きれいになるまで寝ないぜ。
って誰に宣言してんのかしらんが。
ちょっと頭、おかしいね。なんか、愛されてぇわ
...かっこわる。
曖昧さ崇拝してんじゃねー。
依存症気味。「スカートの砂」を聴きたい。
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イギーの、拷問的で越えてはならない一線を越えた73年の傑作のリミックス盤。鋭い爪と暴力と危険性をみごとに復活させている。こうした面は、もっと穏やかである程度聴きやすいデイビッド・ボウイー参加のオリジナルでは損なわれていたのだろう。ここにあるのはデトロイト・ロックの圧倒的な狂気だ。(Jeff Bateman, Amazon.com)
血液がどろどろしすぎて、レビュー書く気なし。
プール行きたかったー。
↓いつもの日記にましてしょうもないので、読まないで大丈夫です。
脳味噌の溝に詰まったクソを掻きだして、すっきりしたい。
ひさしぶりにそう思って、頭のネジをはずそうと思ったのだけれど、ドライバーが空回りして、螺子の頭をナメってしまった。
気が済むまでため息を吐いたあと、左手の爪を使ってつまみながらあけようとしたが、一向に螺子が回る気配はなかった。いじっているうちに、「どっちに廻せば抜けるのか」がわからなくなり、すこし喉が渇いた。
一人じゃどうしようもない気がした。
ホームセンターに行って、開けてもらうことにした。
夕方だったけれど、田舎の火曜日のホームセンターは、ほとんど客がいなかった。
いつもの親爺に事情を説明すると、つむじにぶっ刺さった螺子の頭を見て、「あぁ、こいつは無理だわ」と言った。
あぁ、こいつは無理だわ。ってか。
親爺の臭い息に混じって吐かれる諦めの言葉を聞いたあと、どうしようもないならしょうないねなんて言って、店を出てきた。
部屋に帰ってきて、床に転がってたドライバーで廻そうとしてみたけれど、結局開かなかった。諦めて寝たら、腹が減る頃に目が覚めた。チキンラーメンを食べながら触った螺子の溝は、ナメて歪んだせいでザラザラしていて、人指し指の先が切れた。
ラジオから流れる、「the Long And Winding Road」の甘ったるい弦楽器の音を聴きながら、マキロンで消毒をしてバンドエイドを貼った。
追記
出願の準備に手間取っている。
少し前に進んだと思ったのに、それが行き止まりだったみたい。
レジュメ、ほとんど書くことないし。
真っ白のレジュメを見てると、何もせんで生きてきたみたいな気分になってくる。
実際のところ、なんかして生きてきたんだろうけれど、そこには人に誇れるものがぜんぜん見えない。
あらあらら、ここはどこなのわたしはだあれ、大根役者の一人芝居
From Amazon.com
The Glaswegian lads in Mogwai continue to tinker with their instrumental rock formula. Whereas Young Team featured the loud-soft dynamic gleaned from Velvet Underground and Come On Die Young copped Sonic Youth’s moody experimentalism, Rock Action adds a dash of Yo La Tengo’s hushed ambience and Flaming Lips’ studio-savvy playfulness (no surprise there--Rock Action was produced by Lips collaborator and Mercury Rev-ster David Fridmann.) Despite quoting from such a heavy lineup of musical mischief makers, Mogwai craft their own sound, largely due to the melodic narratives they conjure up in the interplay between the three guitarists. With hardly a spoken whisper in the mix, they manage to create great moments of drama, tension, and resolution. "Take Me Somewhere Nice" is a meandering journey toward the promised land, "You Don’t Know Jesus" wanders with mystical and loopy abandon, and "Secret Pint" thrums in stately glory. One of the great things about Mogwai is that they are still so damned young--if they continue to kick against the pricks of their own invention we’ll be hearing much more inventive and wonderful music from them in years to come. --Tod Nelson
以下、11月12日の日記。なかなか感傷的な一日だった。
バイトが終わって外に出ると、雪は小降りになっていた。暗い色の地面の上を、街灯のあかりを頼りに、水溜りをかわしながら駐車場まで行くと、母親に借りた車の隣に、父のものと同じ車種の車が停まっていた。運転席と助手席に座った父と母の姿が見えた。
「あ、どこか食べに行くんだ。」と思うと、うれしくなった。勢いよく車に乗り込むと後部座席には、紙袋があって、中には衣服の入った白いビニール袋があった。祖母の洗濯物だと思った。
「どっか食べに行くか」と母さんが言った。
以前食べに行った韓国料理屋に行くことになった。
「病院、見てきたん?」と聞くと母のほうから「うん...」という返事が返ってきた。
「リハビリ、頑張ってるんだね。」
「婆ちゃんは、やってる、って言ってたよ。」
その言葉を聞いた後、とくに何も言うことがなくて、条件反射みたいに「はやく歩けるようなるといいね。」と言ったけれど、耳に届かなかったのか二人とも何も言わなかった。
韓国料理屋で注文した料理は、味が濃いものばかりだった。うまいけれど、早死にしそうな料理ばかり食べ、好き勝手に感想を言い合う。石焼ビビンバは、ゴマ油の多さに参った。カニのから揚げが、おいしかった。
帰りに、安いデジカメを探す父親に付き合ってリサイクルショップに行ったりした。ニコンのデジタル一眼レフが、5万円とかで売っていて「うわっ」と思ったけれど、レンズは別売りだった。
途中、車を停めておいた図書館の駐車場で降ろしてもらった。車内の空気が冷たくて、CDを入れ替えるときに肩が震えるくらい寒かった。
走り始めると暖房で熱で溶けた雪が、フロントガラスの表面をゆっくり滑り落ちていった。それでも、しばらくの間、車の中は冷気で充たされたままで、点け始めたばかりのエアコンから出てくる風にも、暖かさが感じられなかった。
冷たい指でハンドルを握ったまま、5分くらい走り続けたあとも、セーターの上にフリースを羽織るくらいにして、見た目そっちのけで防寒していたのに、寒かった。
別の音楽をかけていたのに、頭の中でモグワイの「2 Right Make 1 Wrong」が流れてた。
中原昌也の短編集、読んだら面白かった。まだ途中だが。
すげぇ暗くて、ユーモアがあって、暴力と性的な妄想や描写が前面に押し出されてるんだけれど、今まで読んだ小説とは違うような気もした。
たぶん、あまり小説を読んだことがないからだろう。
何枚かの絵画を切り裂いて、バラバラにしたあとに親指とひとさし指を使って、糊で貼り付けてコラージュした作品みたいな印象を受けた。
うまく言えんが、サンプリングっぽい。
全体的な視点が欠けているように思うのだけれど、あの作品にそんなもんを持ち込んだら、つまらなくなるようにも思う。
あの作品の持つ虚構性の中に、リアリティを感じてしまえる時代なのかもしれないと思う。
追記
たぶん、岡本太郎の本を読んだあとからだと思うけれど。
空虚な気分が続いていていやだった。
すこし回復した。たしかに、立派な部分もあると思うが、無理に誰かのやり方を真似る必要もないと思う。
影響を受けやすいっていうのも考えものだ。自分の意思が不安定だからかもしれない。
結局「つまんねー」って言って、甘えてるのは自分なのかもしれない。とも思う。自分の言葉は自分に返ってくる、っていうし。
階段から溢れる人々。終わりのない青春。
2006年11月9日 読書自分の中に毒を持て あなたは“常識人間”を捨てられるか
著者が1993年に出した文庫本の新装版。亡くなる3年前に書き残した。
今を生きる人々を叱咤激励している。自分の人生を振り返って、この世に生まれ出た瞬間から(覚えているわけではないだろうが)、小学校時代、パリ留学時代、今日に至るまでを「決められた枠にはまらずに、自分の思いを爆発させ続けてきた連続だ」と言う。
著者の主張は明快だ。「集団に馴染むために個性を殺すな。1人ひとりが本気で考え、自分の思いを爆発させなければ、世界はつまらなくなる」。
何かを生み出すためには、自分を追い込むことが必要だ、という言葉は芸術家として生き抜いた著者の叫びだ。
数々の前衛的な芸術作品に込められた熱く厳しいメッセージが伝わってきて、勇気づけられる。
東京の友達の家に置いてあった。読み始めると面白かったので、ジュンク堂で買ってきた。タイトルは、あんま好きじゃない。
以下、感想文
旅行に行ってる間、友達の部屋のTVでヘッポコバンドを見た
あれは、たぶんプロモビデオだと思う。なかなか男前の、性格暗そうな青年がマイク握って「たいくつだーたいくつだー」って退屈な歌詞を、退屈な音とメロディにのせて叫んでた。
ああいうふうに、斜に構えた態度をとって、かっこつけんのはそんなに難しいことじゃないと思う。
いくらカッコつけても、笑いにしかならん場合もあるが。
たいていの場合、「あれは、ちょっとやってみただけ」って言えるから。だってまっすぐじゃなく、斜にかまえてんだから。
岡本太郎のことを何もしらんで、なぜか馬鹿にしてたのだが。
この本は、かなり熱い本だ。活字からなのに情熱ってやつが伝わってきますよ、奥さん。
絶えず自分を更新し続けること。自分と対峙すること。
そんなふうに生きることを実践してきた芸術家の言葉は、変にひねくれた表面的な歌詞より、ずっとまっすぐに伝わってくるし、メチャメチャかっこいい。
再生産一辺倒のヘッポコバンドには、空虚な気分しか感じない
別にニヒリズムに陥ったふりすんのはかまわないけど、誰かになんかしてもらおうって魂胆がむかつく。
甘えてんじゃねー、ボケ。って思う。つまんねーのは、おまえだ。
とかなんとかこんなふうに、顔さらしてなけりゃ。
なんでも好き勝手言える。たぶん面と向かっては、言えないだろう。そこらへんのみたいな部分も全部なくして、ぶつかっていくってことなんだろうね。
危険な道を選択するのは、やっぱり簡単なことじゃないと思う。
せめて、いじけないで生きて行きたいものだ。
追記
「ぼくは絶対に、変わらない社会と妥協しない、これが、ぼくの姿勢だ。」だってさ。
普段、妥協しまくりのわたしは、そのラインにやられたのでした。
いや本当に。元気が出る本だと思う。
空港で、Natsumenの「Newsummerboy」を聞きながら、この本読んでいるとなにやら感動してきて、泣きそうになって困ったくらい。
いい大人が昼間から空港の出発ロビーで涙を流してるのなんてアホみたいだから、泣かなかったけど。
最後のほう、呪術について書かれた部分については、何を言ってるのかちょっと理解できなかったけど。岡本の言葉は、まっすぐだ。それは愚直にではない。
彼の本を読んでいると、全能感が広がる。
何でも出来るような気分。
全能感自体は、原動力にはなっても方法にはならない。
現実に対抗するためにはもっと現実的にならなきゃだめなんだろうけど。やっぱり、身の程を知るのはもっと後でいいと思う。
「夢を見ることは青春の特権だ。身のほどを知る必要なんかない。」って、太郎も言ってたし。やっぱり、そこらへんは賛成。
さらに追記
今日やっと、北海道に帰ってきた。家は落ち着く。
GREの勉強は終わり!イエーイ。
ミニマムだけど、スコアゲットだぜ。
明日からは別のことをやるぞー。っとその前に免許の更新
表面的な適応
2006年10月30日晩に、父と母と3人で回転寿司を食べに行った。
あまりおいしくなくて、帰りの車の中、みんなでブーブーと文句をたれる。
あの寿司屋、ネタがなまぐせぇ。握り方もヘタクソ過ぎだ。
バイトの高校生が握ってんじゃねーのか、って。
追記
たまに空虚ぶってる自分から、もう離れたい。
さらに追記
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れずに
『雨ニモマケズ』のこの部分がいい。
ラストの「そういうものにわたしはなりたい」に続く部分も、なんだかわからんけどいい。
そういうものにわたしはなりたい。
あまりおいしくなくて、帰りの車の中、みんなでブーブーと文句をたれる。
あの寿司屋、ネタがなまぐせぇ。握り方もヘタクソ過ぎだ。
バイトの高校生が握ってんじゃねーのか、って。
追記
たまに空虚ぶってる自分から、もう離れたい。
さらに追記
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れずに
『雨ニモマケズ』のこの部分がいい。
ラストの「そういうものにわたしはなりたい」に続く部分も、なんだかわからんけどいい。
そういうものにわたしはなりたい。
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加熱するライヴ、ことごとくヒットチャートを駆けあがるシングル。本作は、英国のみならず、アメリカにおいても評価を高めていた彼らが86年にリリースした最高傑作だ。
自虐的なユーモアと鋭い社会風刺が同居したライム、タイトで荒々しいビート、ますます精緻さを増したギター、楽曲全体を華麗に包み込むストリングス。いつ壊れてもおかしくないほど危ういバランスの上に成り立っていた今作は、バンドというきわめて青春的な表現形態だけに許された、まぶしい輝きに満ちている。(森 朋之)
↑べた褒めですな。
90年代に活躍したバンドやアーティストには、スミスを好きな人たちが多い。そんなわけでたまに触発されて聴いてみるが、スミスの良さが、いまいちわからない。
ジョニーマーが書いた曲は、かっこいいと思うけど。モリッシーの声が苦手だ。眉毛が太いのに、歌声がなよなよしているし。
(容姿差別はいけませんね。)
歌い方も内容も、うじうじしていてねっちょり感が残る。
粘着質です
でも、わりと好きな曲もある。「panic」とか「What Difference Does It Make」とか。(結局、シングルになるようなわかりやすい曲しか、良さがわからない。)
で、アヴァランチーズがアルバムに使っていたのが印象的だったので、「The Boy With The Thorn In His Side」のプロモを見てみようと思ったのだけど、やっぱり苦手だった。時代を感じる。
それから、イギリスのミュージカルドラマで同じ曲が使われているのを発見した。けっこう面白かった。「Blackpool」というタイトルのドラマみたい。
「Blackpool - The Boy With The Thorn In His Side-David Tennant」
http://www.youtube.com/watch?v=CriRJywTDfQ&mode=related&search=
この一場面だけを見ても、ちょっと正確には理解できなかったけれど。連れと歩いていた青年がその日の晩の予定を聞かれて、持っていたドラッグを手渡したのだけれど、警官に見られていて、しかも渡された人も、私服警官だった。って感じかと。
「目の奥を見つめときながら、やつら僕を信じてないんだ。」とか、「今、信じられなかったらいつになったら信じられるんだろう」とか。
歌詞に、ナヨナヨしてる部分があるからこそ、この場面に面白みがあるような気がします。
これを見て「けっこういい曲だ。」と思いました。
追記
最近、しみったれた気分が続いてる。
アスファルトにつっ伏して、そのまま地面の上で溶けて消えたい。と思ったり。
ベッドの上で、ふとんと同化して消えたいと思ったりする。
甘ったれてるし。気分も晴れん。
日記なんか書いてないで、運動すべきなんだろうな。
内容(「MARC」データベースより)
1990年代初頭、トルコ北東部の地方都市カルス。雇われ記者の詩人Kaは、イスラム過激派によるクーデター事件に遭遇し、宗教と暴力の渦中に巻き込まれ…。世界40か国語に翻訳され、各国でベストセラーとなった超話題作。
オルハンさんは今年、ノーベル文学賞を受賞したそうです。
そんなわけで私も便乗して、この本を読み始めて2週間が過ぎたにもかかわらず、未だに読み終えていない。
明日は、返却日だ。たぶん、予約入ってると思う
また、時間があるときに読もうと思った。
今日はユニクロに行ってきた。ユニクロの服には、2シーズンくらいしかもたないものが多いけど、あまりクセがなくて色が豊富にあるのが、いいと思う。ただ、無難を通り越して、野暮ったいものもわりとある気がする。
あと気のせいかもしれないけど、婦人もののほうが、よくできてる気がした。
明日はバイト。
追記
昨日、ぶくぶく太った夢を見た。夢の中の自分は、なぜか、図書館の中、上半身裸で突っ立っていた。床に落ちていたTシャツを拾って着てみたが、サイズが小さくて入らない。とても焦った。
Tシャツに袖を通す段階で、ぶくぶくと太りはじめ。なぜか遠くから「ドラゴンボールZ」のオープニングテーマが聞こえる。
「ちゃら、へっちゃら。」とかなんとか。気合の入った、限りなく内容のない熱唱をバックに、入らないシャツを頭に被ったままジタバタしていると目が覚めた。
身の丈に合わない見栄を張ろうとしながら、全くそれが機能していないことを表しているのかもしれない。と自己分析。
見栄はらずに生きていけたら、もっと楽だよな。
(これ以上楽するなんておこがましいにほどがある。)
日本ハム優勝
2006年10月26日日本ハムが中日に勝って、44年ぶりに日本一になりました。
やったー。北海道に住んでいるせいもあって、やっぱりうれしい。
セギノールがひさしぶりに打った。新庄、泣いてた。
ダルビッシュ男前。稲葉はMVP。
いやー、だめだ。全然、言葉が浮かばんよ。
あんま興味なかったのもあって、言うことなし。
でも、めでたい。
やったー。北海道に住んでいるせいもあって、やっぱりうれしい。
セギノールがひさしぶりに打った。新庄、泣いてた。
ダルビッシュ男前。稲葉はMVP。
いやー、だめだ。全然、言葉が浮かばんよ。
あんま興味なかったのもあって、言うことなし。
でも、めでたい。
When I Met You
2006年10月25日 音楽オーストラリアの至宝、AVALANCHESのなんとMIX CDが入荷!タイトルからも想像できる通り2000年発表の超名盤1ST."SINCE I LEFT YOU"からの曲も満載!自らの曲,MADONNA,BOB DYLAN,DAFT PUNK,BEATLES,MICHAEL JACKSONとサンプリングマスターぶりを発揮しまくる彼らにしか出来ないであろう選曲&ミックスセンス・・・。2MANY DJ’Sを越えた?少量入荷!お早めに!!
アヴァランチーズは、オーストラリアの6人組のバンドというか、グループです。
「the Swinging Monkey Cocks」というバンドで活動したあと、Robbie Chater と Darrin Seltmannが新しいメンバーを4人加えて、始めたらしいです。
「the Swinging Monkey Cocks」は、パンクバンドだったらしいのですが、そこから彼らは、ターンテーブルでもって、別の方向(ダンスミュージック)に進み始めます。(ビースティー・ボーイズのルーツが、ハードコア・パンクだったのと似ているような気がします。)
1997年から1999年にかけて、ビースティーボーイズやパブリックエネミーのサポートアクトなんかをつとめたり、4枚のシングルを出したりしたあと、その2000年にアルバム『Since I Left you』を発表しました。『Since I Left you』は、700枚以上のレコードをサンプリングして作られたもので(コッチもおすすめです)、コーネリアスも同作品のリミックスアルバム(こっちはオススメしません)に、曲を提供しています。
んでもって、そのセカンドアルバムはまだ発表していません。
サイトにあった情報では、現在、製作中だそうです。
「When I met you」は、2004年に発売されていますが。
収録曲は2001年に出された「Gimix」(CD)と同じです。
タイトルから考えても、やっぱり同じアルバム。
「Gimix」自体はプロモ用のテープが元になっていて、そのテープは2000年の中期に出されています。(ややこしいね)
そんなわけで、デビューアルバムを下敷きにして「Gimix」が作られたというよりも、「Gimix」がデビューアルバムの青写真だと考えたほうがいいでしょう。
んでもって、この作品。すごくいいです。メチャメチャ有名な曲ばかりなので、耳になじみやすいし、すごく間口が広い気がします。
マドンナの「ホリデイ」のベースラインにのせられて「Like a Rolling Stone」が流れたり、後半部では、急にマイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」が流れて「おぉっ」なります。
ミッキーマウス・マーチまで入ってます。
個人的には、ジミヘンの「クロスタウン・トラフィック」のイントロのループにデラソウルの「A Roller Skating Jam Named "Saturdays" 」のコーラス部分がかけられてる部分が、すごくよかったです。
その後のスミスのとこも、けっこう驚きました。
知らない曲もあるけど、それもすごくいい。
「あ、これ、あの曲だ」とか「ここはこんなん使ってるんか」とかなんとか言って、ちょっとオタクっぽい聴き方も出来るだけじゃなくて、純粋にダンスミュージックとしても楽しめるのが、すごくいいと思います。
あと、どっかで「I would say "Bon voyage"」って、言ってるとことかもよかった。(もしかしたら聞き間違いかもしんない。)
聴いていて、元気が出ます。たぶん、ネットのHMVで買えます
Youtube 「The Avalanches - Since I Left You」
http://www.youtube.com/watch?v=NQ2cjdECcF4
追記
今日は、日本ハムファイターズが日本シリーズで3勝目を上げた日。
たまに見ると野球も面白い。
いやもしかしたら面白い試合だったのかも。
朝、うとうとしていると電話があって「代引きの荷物を午前中に届けよう思ったんだけど、お金は用意してあるんか」という内容を、オバッサンが言った。
僕は、8割がた寝ぼけていたので「あ。はぁ、えーと、あー」などと間の抜けた受け答えをしてから、やっとこサイフの中に、3000円しか入ってないことに気づいたのだった。
「あ、じゃ、よろしくお願いします」って言って電話を切ってから、自転車に乗り、郵便局に向かった。
天気がいいくせに、スウェットパーカじゃ寒いくらい気温が低かったけど、空気が気持ちよかった。このCDを聞いていると、半分ねぐせついた頭とか、いっこうに進まんGREの勉強とか、どうでもよくなった。いや、すこしだけ。
んでもって、さらにチャリを漕ぎつつ思った。
自分の人生において、こういう展開が多すぎるような気がする。
「凹む」→「音楽聴く」→「フラットに」
「凹む」→「映画見る」→「フラットに」
「凹む」→「自転車+音楽」→「上向き」
「凹む」→「人と話す」→「フラットに」
基本的に凹みすぎだ。
帰ってきて、荷物を受け取ってメモリ増設した。
めっちゃ快適だ。
ファイターズがんばれ。
日記長くなった。
ふつうの日曜日
2006年10月22日昨日と同じようにバイト。
職員の方と、毛のない猫(スフィンクス)の話になった。
あの猫は、1960年代にカナダで生まれた変種の猫らしい。
皺には、ゴミがたまるので、こまめに拭いてあげるほうがいいらしい。と、一人がうんちくを語ったあと。
もう一人の職員さんが「うんこのついたおしりみたいだね。」と言ったのがおかしかった。
最近、日が暮れるのが早い。4時を過ぎるころに、暗くなり始める。
追記
natsumenが活動休止を発表したらしい。
残念だ。
職員の方と、毛のない猫(スフィンクス)の話になった。
あの猫は、1960年代にカナダで生まれた変種の猫らしい。
皺には、ゴミがたまるので、こまめに拭いてあげるほうがいいらしい。と、一人がうんちくを語ったあと。
もう一人の職員さんが「うんこのついたおしりみたいだね。」と言ったのがおかしかった。
最近、日が暮れるのが早い。4時を過ぎるころに、暗くなり始める。
追記
natsumenが活動休止を発表したらしい。
残念だ。