名前を変えました。24歳は「あっ」という間に過ぎてもう25歳。
http://diarynote.jp/user/83980/

変なこだわりにつき合わされ面倒だとは思いますが、もし読んで下さっている方がいれば、ブックマークをお願いします。

↓むかしのブログです。

23歳
http://diarynote.jp/user/68737/
大学4年生
http://diarynote.jp/user/48517/
大学3年生
http://diarynote.jp/user/38886/
内容紹介
夏の読書感想文の定番,中高大学入試にも頻出の必読書。――――――人には14歳以後、一度は考えておかなければならないことがある!
今の学校教育に欠けている、14、5歳からの「考える」ための教科書。「言葉」「自分とは何か」「死」「心」「体」「他人」「家族」「社会」「規則」「理想と現実」「友情と愛情」「恋愛と性」「仕事と生活」「メディアと書物」「人生」など30のテーマを取り上げる。急逝した著者の代表作。

内容(「BOOK」データベースより)
人は14歳以降、一度は考えておかなければならないことがある。


途中までしか読んでいません

昨日、友達にすすめられ、冒頭部分から40ページほど読んだのですが、とてもおもしろかったです。むしろ、今のタイミングでこの本に書かれてあることを再考するのは、自分にとってすごくよかったと思います。もう24歳ではありますが...

というのも、「考えること」と「思うこと」をちゃんと分けてとらえることの大切さに、あらためて気づかされたからです。

「悩むこと」は「考えること」と同じではない、というのも、目からウロコでした。

単純に、14歳から、一度は考えておくべきことを通り過ぎて、10年間も過ごしてしまったのかもしれない。とおもうと、「もっと早くに知っておくべきだったのだろう」と残念な気持ちになりますが、それでも、どうしようか悩むよりも、どうしようか考えるほうが有益だ、ってことがわかったような気がします。

追記
昨日、東京から友達がきた。急な日程だったためバイトで休みをとれずに、一晩、家にほったらかしにするハメになった。バイト前に、旭山動物園に行った。
帰り、札幌駅まで送っていった。往復8時間。その運転の間にたくさん喋れたのが、せめてもの救いだ。

滅多に友達は来ないので、とてもうれしかった。

それから、自分のやりたいことがすこしだけ、明確になった。
それはこの本をすこし読んだことも関係してるだろうし、友達や彼女と話をしたからだともおもう。感謝である。

あとは、努力するだけだと”おもう”。そうすると、ずっと気分は楽だ。それが難しいのだろうけれどね。

追記
残りも読みたいので、図書館で借りることにした。
この動画をみて、ちょっと感動しました。
長いけど、時間がある方はどうぞ。

「Battle at Kruger」
http://www.youtube.com/watch?v=LU8DDYz68kM

最近

2007年7月31日
最近、スティーヴィー・ワンダーを聴いている。
きっかけは、ビースティーボーイズのブログに載っていた「Superstition」だ。
自分のなかでは、タモリのようにポップ・アイコン化した存在なのだけど、それはただ無知だったからなのだとおもう。いまも知らないといえば知らないけど。
単純化されたイメージだけで、わかった気にならないべきだよね、きっと。

Stevie Wonder Drum Solo
http://www.youtube.com/watch?v=4SCZv7786KY

昨日、小田実さんが亡くなった。
ちょうど1週間くらい前から『世直しの倫理と論理』を読んでいる。

その本を借りるまで、名前は知っていたけど、読んだ事のない作家の一人だった。いままで、「おだみのる」と読んでいたのだ、けれど、「おだまこと」が正しい。
まだ上巻と下巻半分を読んだだけ、あと4分の1残っている。

この本に書いてある、この人の考え方には、すごく共感できる。
しばらくぶりに、読んでいて感謝したくなる本だ。

ぜひ、読んでほしい。

追記
ドラムつながりでどうぞ。

「Hella - Biblical Violence Live」
http://www.youtube.com/watch?v=jdMDcG3zAEI

「Hella - Your DJ Children / It’s been a long time cousin」
http://www.youtube.com/watch?v=FvzIr-t9Yqs&;;;;;;;;mode=related&search=

「Hella - Republic of Rough and Ready (Live)」
http://www.youtube.com/watch?v=RdPIfMO28ck&;;;;;;;;mode=related&search=

hellaは、友達に教えてもらったのだけど、すごくかっこいい。
途中、聴いていて食傷気味になりますが、とてもひかれます。

意味はないだろうけど、むっちゃ生きてる感じがする。

シグナルか、ノイズかって。

鈴木先生の3巻、買った。これもまた、友達のすすめ。
「下流志向」だっけ、白とオレンジ色の去年、売れた本。
その内田樹の本と一緒に読むのをおすすめします。

学ぶことは、学ぶことの方法を学ぶみたい。
間違った解釈かな。それと、目に見える、数字に表される部分とは別の領域における成長を描くのが、「鈴木先生」の目的じゃないかと。

加えて、方法論が優れている、エンターテインメントしてるし、鈴木先生の意識の流れを、過剰といえるくらい子細に描写することで、日常のさらに突っ込んだ部分、個人的な部分をサスペンス化することに成功している。つまり、読んでいると巻き込まれるのだ、鈴木先生の不安に。
そして、ちゅうぶらりんの気持ちにされたおかげで、安定を求めて、物語の先に進まざるをえなくなる。

...気がする。

物事を面倒・不面倒で判断してしまう人が、「どうでもいいじゃん」と一蹴してしまいがちな部分に潜む問題に、うまく光が当っているとおもう。

作者が読み手を導く方法の巧みさでもって、そこに直面せざるをえなくなる。だから、このマンガが表現方法として、サスペンスの手法を取り入れたのは必然なのかな、と。

自信はないけどね。

7月23日の日記

2007年7月24日
7月23日はバイト。

帰ってきてサラダを食らう。野菜賛歌。

オホホーイ、と。

あほやねん

2007年7月21日
英検、受かってた。

準1と2級、両方とも。

うれしいぞ、おい。

テスト前は、あんま勉強してないのにな...ってつぶやいたら、横で見てた母親がため息まじりに「あーぁ」っていった。
調子に乗っちゃうから、あんまよくないよなぁ、やっぱ。

中学の同級生に会った。ビデオ屋に来ていたのだ。
なんだか、恥ずかしさを感じてしまったのだけど、いかんいかんと思い、胸を張る事に。むねはっていいのか、わからんが。

経済的な地位が高ければ、いばっていい、ってわけじゃないだろうし、低ければ卑屈にならなきゃいけないわけでもないだろうに。

なんでなんだろうなぁ、あの気分。

なんてことどうでもいいよ。

だって、明日はデートだもの。

深夜2時なのに、うかれポンチです。
内容紹介
日本のロックバンドとしては初となる、オーストリアのウィーンでレコーディングされた7枚目のオリジナルアルバム。先行シングル「Jubilee」をはじめ全14曲収録


僕は、レンタルビデオ屋で働いている。返却と貸出が主な作業で、アニメや邦画、洋画だけじゃなく、エロいDVDやビデオなんかも棚に戻す。返却をする。

6ヶ月も働いていれば、誰だってアダルトビデオの会社名を覚えるし、返却スピードもだいぶ速くなる。たぶん、店では1番か2番くらい速いとおもう。すごく無駄な知識と技術だとおもうし、全然自慢にならないけど。。。

「JUBILEE」をはじめて聞いたのは、バイト中だった。アダルトDVDの返却中、有線から流れてきたのだけど、なんだかとても元気づけられたのを覚えてる。「おれもがんばろう」とおもった。

素直にすごくいい曲だとおもった。

曲について細かい分析や説明をすることはできないけれど。
あの店で、無駄に思える作業に時間を費やしている自分を卑下するんじゃなくて、その場所に至った過去の自分も含めて肯定したくなるような、前向きな気分だった。
(「肯定」って言葉、山崎のライナーノーツとかぶる表現かもしれないけれど、そうおもったのだ)

そのあとは、張り切ってアダルト返却したのだった。

きょう、店にアルバムがあったので、借りてみた。
まだ「Jubilee」しか聞いていない。

午前3時半、彼女と別れたあと、家に向かってクルマを走らせながら、その曲を聴いていたら、なんだか気持ちがあふれてきて、涙が出た。
音楽を聴いて泣いたのは、とにかくひさしぶりだとおもう。

最近、すごく幸せだ。

追記
大学からこっちに戻ってきたとき、地元にいる自分が嫌だったし、地元がすごく嫌いだった。たぶん、「カルチャーショック」みたいなもんだったのだとおもう。ここにいることに対する違和感。
18年間も住んでいた場所なんだから、不思議といえば不思議だけど、それが一番、につかわしい言葉な気がする。

自分が、この場所に属してない、って感覚。

でも、だんだんとそういう感情がうすれてきた。

いまは、そうじゃないけれど、もし自分のいる場所が嫌で嫌でしょうがなくて、どこかに行きたいと考えていたとしても、そこに自分がいることをいつも肯定したいとおもう。

場所のせいにするなんて、つまんない。
ここで楽しめないなら、どこにいたって同じなのかもしれない

幸せだけを考えるなら、「どこにいるか」とか「どこに属しているか」とかは、あまり問題じゃないのかもしれない。

今の時点では、そうおもう。

追記の追記
いろいろな表現があるけれど、結局、知ってるようなことに行き着く。でも、それは無駄な試みじゃないとおもう。
いつだって、頭の片隅には、重みや意味を失った言葉があって、それは刺激に慣れすぎて不感症気味の脳みそには、響かなくなった言葉なのだとおもう。

でも、誰かの表現、音楽であったり小説であったり、映画であったり。自分が好きな表現のほとんどは、自分がたどったことのない道のりで、同じような刺激や言葉に対して、新鮮な感情や忘れかけてた意味を喚起させる力があるものみたいだ。

1行や1フレーズ、1シーンだけでそれをやってのけるなら素晴らしいけど、それだけで普段の文脈を作りかえるのは、むずかしいとおもう。

計画

2007年7月15日
一日、2ユニット設定。

終わるかなぁ。

あと90日。

こうんちゃん

2007年7月14日
古谷実のマンガを読んだ。主人公、幸せになってよかったなぁ。とおもった。ハッピーエンドが読みたかったのかも。

あぁ、もうやだ。

なにをやっても、気分が最低だ。こうやってタイプしてても、自意識過剰過ぎて、腹が立つ。

もう生きてるだけでいいや。

家出たい、とか言ってなにも行動出来ていない自分。
こんなふうに年とって、ダメな若者からダメなおっさんになるだけなら、死んだほうがマシだ。

なんて言いながら、死ぬ勇気も持ち合わせてねぇし。
死にたくねぇし。

どうせ磨り減る自尊心なら、いらねぇよ。
そいつのせいで、気分は最低だ。

ぜいたくだよ、ほんと。
ディスク:1
1. 香港庭園(ストリングス・イントロ)
2. アフロディジアック
3. ホワット・エヴェー・ハプンド
4. プーリング・アワー・ウェイト
5. セレモニー
6. ナチュラルズ・ノット・イン・イット
7. アイ・ウォント・キャンディ(ケヴィン・シールズ・リミックス)
8. キングス・オブ・ザ・ワイルド・フロンティア
9. 協奏曲 ト長調(ヴィヴァルディ)
10. ザ・メロディ・オブ・ア・フォーレン・トゥリー
11. アイ・ドント・ライク・イット・ライク・ディス
12. プレインソング
ディスク:2
1. イントロ~ヴェルサイユ
2. ジウェセック
3. 作品17
4. イル・セコンド・ジョルノ(インストゥルメンタル)
5. キーン・オン・ボーイズ
6. 作品23
7. 神秘な障壁(F.クープラン)
8. フールズ・ラッシュ・イン(ケヴィン・シールズ・リミックス)
9. アヴリル 14TH
10. ソナタ ニ短調 K.213(D.スカルラッティ)
11. トミブ・ヘルプ・バス
12. 悲しい支度、青白いたいまつ オペラ『カストールとポリュックス』より(ラモー)
13. 作品36
14. オール・キャッツ・アー・グレイ


くそ、素敵具合、分かち合ってんじゃねーよ。
俺を、素敵仲間にいれろ、このやろう。

クリムトの絵って、いいなぁとおもっちゃう今日この頃。最早、死ね死ね団に、入る事はできなさそうです。自分のあたまにクソをのせ、一生やってろ、と鏡にいうべきでしょうか。

うちの店のカウンター前には、レンタル新作DVDをするためにテレビが置いてある。最近、『マリーアントワネット』のプロモーション映像が流されるのだけど、映像にはさまれる”Natural’s Not In It”のイントロの音が、どうしても気になる。

ギャングオブフォーは、合わん。そぐわん。

すくなくとも、あのレンタルビデオ屋には。
だけど、かっちょいいよう、かっちょいい。ううう

そんでもって、ニューオーダーの「セレモニー」とか。
知らなかったけど、いい曲だねぇ。ギャラクシー500の曲だと思ってたけど、ニューオーダーのだったんだねぇ。

今日は、スフレチーズケーキに挑戦。2度目の挑戦。
前回よりもふっくらしてそうな感じ。

明日の朝が楽しみだ。そして明日はお祭り!
あぎゃぎゃ、テンションあがんなぁ、がは!

なんて、舞い上がってます。就職しろ、俺!
びっくりマーク使いすぎだぞ、おれ!
オレオレいってんじゃねーぞ俺。

そんなこんなで過ぎ去る、7月9日の23時。

次の日に食べる甘いものがあるだけで、夜は幸せにねむれる。
健康ってすばらしいなぁ。恋人がいるっていいなぁ。感謝感謝言ってんじゃねーよ、ってな。

フリーターだけど、多幸症です。英検の2次試験で、同級生に会ったけど、そして、同級生がまともに働いていて、教師やってたりしたけど、幸せです。

むしろ、なつかしくてよかった。たぶん、試験前に話しかけまくったせいで、うざがられてたけど。

追記
すいかうまい。たぶん、一生バカップルでいたら、それはそれで勝ち組なのではないかとおもうのです。でも、無理だろうなぁ。すげぇむずかしいとおもう。エベレスト登るよりむずかしいかも。

追記追記
今日、スコップで穴を掘って、おとといの自分を埋めた。
開いた口もそのままで、土をかぶせてあげた。
彼の唇と歯は、泥まみれ。

明日は、もうひとりの僕がやってきて、僕を埋めるだろう。

埋めた場所は、わすれてしまえばいい。
そう言ってあげようとおもう。
明日の僕は、死体だらけの庭で、気長に、盆栽でもやればいい。
明後日の俺に殺されるまで、楽しめばいい。

現実からの逃避を肯定するよ、おれは。
受け入れることが無理なら仕方ないさ。

http://www.youtube.com/watch?v=MhNDKZmxRLM

追記
仕事で得られる快楽。それは、訓練の過程で得られるえさみたいなもんでもあって、感覚をにぶくさせるものとしても働く。すくなからず持ってるかも、逃避機能。

ほとんど同じ、というか他の行為で得られる類いの快楽と大同小異なのだとおもう。

もしそうなら、どの道を選んでも同じだろう。
訓練と喜び、罰があるからおもしろいのかもしれないし。

地に足が着いてない。ハートに火をつけて、燃やしちゃれ。

そう思ったら、ケツ毛が燃えたよ、ベイべー。

[The Factory All Stars - Love Will Tear Us Apart]
http://www.youtube.com/watch?v=rScFGyIO9yc

不思議なカバー、みょうちきりんだけどおもしろいとおもう。
2分35秒くらいからどうぞ。

この曲自体はすごくいいし、好きだ。とくに歌詞。
音もかっこいいし。

にぶいぜい。

2007年7月8日
英検の2次試験を受けてきた。
準1と2級のダブル受験なので、午前と午後で2回の面接。

全然、勉強しなかった。
前日も勉強する気が起こらず。
試験の段取りさえ、つかみきれていない。あやうい感じ。

けど、まぁまぁ、できたとおもう。ただ、これで受かってたら調子ぶっこきそうだし、落ちたほうがいいかも。落ちてても受かっていても、秋に1級を受けてみようとおもう。

落ちてるほうが気合が入りそうだ。なんて、事前に予防策をとってみる。落ちたときに、すくなからずありそうなダメージを考えて。

3×3×3

2007年7月6日 音楽
Amazon.co.jp
1998年発表のメジャー・ファースト・アルバム。ドラムスが柴田一郎になって全体がタイトに引き締まり、各楽器の音も太くなって、見違えるほどダイナミックなバンド・サウンドになった。ソングライティングにしても、歌詞は脳内妄想的な独自の世界を確立し、メロディーは歌謡曲的なキャッチーさを強め、極めて完成度が高い。

代表曲ぞろいだが、特に終盤、奇妙なトリップ感覚をうながすブギ・ナンバー「3×3×3」から、逃避願望を具現化した歌詞と爆音ギター・ソロが見事に融合した「EVIL CAR」へと至るディープなハイライトは、彼らのひとつの到達点といえる。やはりこれが最高傑作であり、国内サイケデリック・ロックのマスターピースだ。(小山 守)

内容(「CDジャーナル」データベースより)
3ピ-スR&Rバンドという編成ならではの単純明快に乗れる骨太さと,バンド名からも彷彿できるような揺らめく浮遊感,その両方を併せ持ったスタイルがいい。メーターの振り切り方も大胆。余計なもんを何ひとつ入れないとこも技と熟練を感じさせる。


いまも若いといえば若いけど、もうちょい若いときに、「ツェッペリンとかビートルズとか好きです。」っていう年配の人を見たとき、なんとなく切ない気分になった。

いや、切なくないのだが。いかんせん、甘酸っぱい。なんかね、おっさんのそれはノスタルジックなのだ。対象物を失った愛、ってやつ。

それは、理解の問題でもあるとおもう。最近の若者が聞いてる音楽のよさがわからず、ムード歌謡を礼讃してしまうお年寄りのように。快感原則がつかめず、ノリが理解できん。

そんなこんなで、紙ジャケの傑作やら代表作やらを漁るようなコレクション行為にむかっちゃったり。『レコードコレクターズ』、買っちゃったり。

ずっと、理解と認識が追いついていけるならいいけど、そうは思えない。
そういうのって、自分も通る道なんだろうなぁとおもうと、いやだなぁ、っておもう。

最近、その傾向ありだ。べつに古い作品ばっか聞いてるわけじゃないし、そればっか聞くのは大好きだけど。その傾向ありだ。

嗜好が、むっちゃ保守的。歴史を追うのも大事だとおもうし。
それだけでも、時間は足りないくらいいい作品はあるのだろうけど、やっぱ新しいものにも出会いたいなぁ。

このゆらゆらのアルバム、大好きです。

わけわからん詞で、単純にかっこよい

ショートケーキのスポンジに挑戦してみた。
すっごく、むずかしい。ぱっと見、よくできてるとおもうけど。
混ぜすぎたせいか、あちこちに気泡が目立つ。

うまく作れるようになりたい。なんでかねぇ。

追記
携帯を変えた、防水のやつ。

7月4日の日記

2007年7月4日
帰ってきた。

今日はトラブルがあっていそがしかった。

帰るときに、メールにきづいた。
うれしかったのと、元気がでた。

ファーサイドの二枚目聞きながら帰宅。

追記
意外に楽観的だね、といわれる。
でも実際は、そのときの問題に関して、あまり関心がもてないだけだったりする。

逆上がりの国

2007年7月3日 音楽
内容(「CDジャーナル」データベースより)
ファースト・フル・アルバム。美しくピュアなソプラノ・ヴォイスと豊かな表現力を持った秀逸な歌い手で、本作はチェロやハープを多用した繊細かつナチュラルなサウンドと彼女の声が見事に溶け合い、独自のファンタジックな世界を築き上げている。傑作。★

内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
無防備で無垢で清らかで、だけど、どこか残酷で。とにかく声の存在感にやられるファースト・アルバム。プロデュースは鈴木惣一朗、ベーシストに青柳拓次、ギターとペダル・スティールに高田漣という“2004年現在、日本でもっとも洗練されたポップ・ミュージシャンたち”が顔を揃えたサウンドはきわめて高品質なのだが、どうしても“声の凄さ”に耳を奪われてしまうのだ。彼女がかつて在籍していた東京少年合唱隊の友人たちとともに一発録音されたア・カペラ・ナンバー「レクイエム」には、本気で鳥肌が立った。すごいよ、この人。 (森朋之) --- 2004年09月号


図書館にあったので借りてきた、湯川潮音のアルバム。
「3:15」が好きだ。昨日から、ずっとリピートで聞いてる。
むねがくるしくなって、くそ、感動してんじゃねーよ、っておもう。

ゆるい挫折真っ最中の、卑屈なこころにも響きます。

「寝すぎた」と言ったら「なに言ってんの、いつもじゃん。」といわれた。

まぁ、そうだけど。

昼に起きる日が続いてる。
10月まで、あと24歳でいられるのも3ヶ月。

うーん。来年は家を出よう。とおもう。
留学出来てもできなくても、3月には家を出たい。

たぶん、いまの自分のことが嫌いなのは、そこだ。
自尊心とか持てるはずがねぇ、すねかじり歴3年ですもの。

てやんでぃ。

追記
英検準一級。一次合格してた。
あんまうれしくない。ちょっとうれしい。
今週二次試験。スピーキング。

受かったらいいけどなぁ。受かってもどうもなんねーよ。

彼は今日も借り物の絶望で鬱ってる。問題の優柔不断化。
行為への埋没しかないなら、どないやねん、人生。

だぶついた腹の肉と感情。無感覚、それが進化なら受け入れよう。
ベッドで壁と向き合いながら、ベロで頬を押し上げる午前3時。
ラブホテルで語られる夢、鼻をかんだあとのティッシュくらい、興味ないよ。青春くそくらえ、思春期かよ。

あぁ、安っぽい悪意だな、てめぇが死ねよ。

くそ、いきぐるしい。

再生したい。再生したい。

午後3時なのに、こんな感情もないな。幼稚だよ、あんた。


今日もバイトだ。がんばろう。
小樽に行ってきた。寿司を食べた。
駐車場のおっちゃんにすすめられた店に行ってみたが、いまいち。
たぶん、すし屋のおっさんと友達かなにかなのだろう。とおもう。

ルタオとか行ってきました。レジのおばちゃん、無愛想だけど、わりとおいしかったし、よかったです。

しあわせです。近視眼的かな?
火曜日。セクシーボイスアンドロボ、最終回だった。

今日、プールの帰り道に思い出し、さけぶ。

そして帰宅。
「頭痛がする、ちょっと早いけど寝るわ、勝手に夕飯食べてて」と言い残し、和室にフェイドアウトしていく母に、ダメもとで聞いてみると、ビデオ録画していたことが判明。

ありがたやありがたやと思いつつ、晩飯の準備して、父と食す。

父がアイスコーヒーを入れてくれたので、お礼を言う。

そのあとビデオを見た。

「セクシーボイスアンドロボ」は、ドラマのほうが好きだ。
脚本家の人は、共同執筆というカタチをとってるらしいけれど、すごくバランス感覚が優れていて、メロドラマを作るのが上手だとおもう。じーんとくる話なのだけれど、そこにひねくれたところがあっていい。どっちかに、かたむきすぎていない。なんか、泣けるのに、わらっちゃうような話が多いのだ。シュールだし。

ごぼ蔵の話とか、とても感動したし。

んでもって、あのドラマを支えてるのは、やっぱり松山ケンイチだとおもう。あのドラマが、甘すぎるところをすれすれで回避できたのには、彼の貢献があるとおもう。

松山ケンイチは、「デスノート」のときとかなり違う役どころなのに、とても自然な気がする。たぶん、化ける役者なのだ。キャラ自体が、マンガっぽいのだけれど、不自然さが、自然だった。

あの、つかみどころのなさがいいとおもう。

追記
母とふたりで、桜丘のカフェに行ってきた。
フリーターにやさしい言葉、「スローライフ」をかかげる店に。
スリランカの男性が作った料理を食べたのだが、おいしかった。

夜、母がつくった、ひよこ豆のカレーをたべた。
味は、わりと似てる感じ
見よう見まねで、挑戦してみたらしい。
いいものは取り入れていくべきだ、まねして。

追記2
ひとつ悩み事に決着がついた。
たぶん、この構造が残酷な状況を生み出していたとしても、それは同意のうえでのことなんだ、ってことをおもう。

だから、もう悩まないことにしたのだ。やっていないことに対して罪悪感をかんじるのは、やめた。それが、楽だからかもしれないけれど。

ジャムの「town called mallice」を聞いて「あっ」っておもったり、自分なりに働くことについて考えてみたりしたのだ。

それは変えようとしないって意味じゃなくて、そこからスタートしてみて、どうしようか考えるってことだ。
おそらく、自分が信じたい事を信じちゃうもんだろうから。
Album Details
Exclusive Japanese limited edition reissue of their 1987 compilation album, packaged in a miniature LP sleeve. Originally a U.S.-only release, this album features tracks from the UK compilations Hatful Of Hollow and World Won’t Listen that were not available on the band’s regular albums. Features ’Is It Really So Strange?’, ’Sheila Take A Bow’, ’Sweet And Tender Hooligan’, ’London’ and more. Warner. 2006.

Album Description
Japanese Limited Edition Issue of the Album Classic in a Deluxe, Miniaturized LP Sleeve Replica of the Original Vinyl Album Artwork.


「ask」って曲、好きだ。これ、ジャケットもかっこいいし。

肯定してもらいたいなんて、格好わるいけど、そのためにひねくれてるのだ、スミスの詞って。

勉強停滞気味、モラトリアム的逃避に辟易。
そんなポーズに抱く嫌悪感も、偽物だろうなぁと予想。

昨日は、十勝岳の山開きに行ってきた。
母と姪と、チョップ君(留学生)と一緒に。

もう10年は登らなくていいな。
岩肌が険しくて、ちょいと足裏がいたかった。

目の前の絶壁を前に、「ありゃ、崖だよ。」「転がったら死ぬよ。」とオバサン口調になる。
死ぬ、とかいいながらひぃひぃと登る。

よろよろと歩く姪を横目に聞いたリーダーの人のお言葉、「登山靴なら、違うんだけどねぇ」が「スニーカー履いてんじゃねーよ、この素人が!山をなめんな。」と響く。

被害妄想、あぎゃ。だって、そのとおりなのだ。
やまをなめるべきじゃないね。登山靴、必要だね。

でも、頂上から見る景色は、きれいだった。
冷たい風と晴れた空、ただの水がべらぼうにうまい。
ちょっとした山登りのカタルシス味わいつつ、お弁当を食す。
「あと10年は、登らんでいいね」と家族で同意しながら

おにぎりと、味の濃い玉子焼き、ウィンナーにミートボールをつっつく。

その間、姪っ子は、読売新聞の取材を受けていた。

んで今日。うちは北海道新聞なので、ネットで見てみたら、姪っ子の名前が出ていた。インタビューの内容と一緒に。

はしゃぐ。もちろん、買いに行った。

記事に添えられていた写真に、自分と留学生の姿をちいさく発見、脳内に響く「おひょー」という絶叫とともに、エラくはしゃぐ。

はじめて新聞に載ったのだ。
むっちゃ小さいけど、顔の確認不可能だけど、うれしいね、あれ。

ちょっと自慢ですよ、これ。

飛んで、きょうの午後。

勉強停滞してるし、やる気が出ないから、ティラミスをつくってみた。
染みこませるコーヒー味の液体に対して、スポンジの量が足りなかったようで、ちょっと苦味が際立っちゃってるかんじ。でも、クリームはうまくできて、全体的にまずくはない。

そんでもって、みんなうなずきながら「うまいね」と言ってくれたので、よしとする。
夜遅くに帰宅した父が食ってくれず、うむむとなる。

イタリアーンな夜10時。
北海道は、6月が、一番いい季節だとおもう

スミス違いだけど、エリオット・スミスもいいよね。
これは、ビッグスターってバンドのカバーらしいです。

http://www.youtube.com/watch?v=E9j4hYzY6ck&;;mode=related&search=

ウー・ラ・ラ

2007年6月13日 音楽
このCDについて
ルースでノイジーでファンシーな、これがフェイセズの真骨頂。
ロッド、ロニー、ロン、イアン、ケニーの5つの個性が輝く、脂の乗りきったバンド・サウンドを聴かせる傑作アルバム。(1973年作品)

[全英アルバム・チャート:第1位]
【プロフィール】
1965年スティーヴ・マリオット(vo,g)が中心となって、前身となるスモール・フェイセズを結成。R&Bをベースにしたサウンドで人気を集めたが、69年にマリオットが脱退。後任としてのちにローリング・ストーンズで活躍するロン・ウッド(g)と、シンガーのロッド・スチュワート(vo)を迎え、バンド名も“フェイセズに改める。70年に『ファースト・ステップ』でデビューし、ロンとロッドが持っている華やかなエンタテインメント性を軸としたグループにシフト。他のメンバーはロニー・レイン(b)、ケニー・ジョーンズ(ds)、イアン・マクレガン(key)。翌71年に発表したシングル「ステイ・ウィズ・ミー」が全英で大ヒットを記録するなどの圧倒的な人気を得たが、ロニー・レインが脱退。73年、ロック・バンド、フリーに参加していた日本人ベーシストの山内テツを迎えて活動を続けたが、75年に解散した。

内容(「CDジャーナル」データベースより)
1973年発表作品で、ロニー・レイン脱退の契機となった最後のスタジオ録音盤。脂の乗り切った5人の個性が輝く、ルースでノイジーでファンシーな酔いどれロック・バンドの真骨頂。


ロッドスチュワートの声は苦手だけど、あきずに聞いています。
ロン・ウッドにメインでうたっててほしかったなぁ。と夢想。

それはそれで、もっといいアルバムになってたかもしんないよ。
って、だれに語りかけてんだか。

ウェスアンダーソン経由で「Ooh La La」。
『天才マックスの世界』のラスト、あのダンスシーンでこの曲が流れるところが、かわいらしくて、かっこよい。たまらん。

個人的に、すごく好きなアルバム。

追記
タルト作ってみた。新聞に挟まってたレシピ帳で。
グリーンピースが材料の、いまいちクリームをのっけて、なんかモンブランみたいに。うらごしって大変だね。やりかた、まずったのかな。

はじめてだけどうまくいった。
タルトにのせたら、うまいけど、クリームだけでは食べたくない
まさに、スネカジリが作った味である。クリームが自立しとらんばい。

お世辞かどうか、わりとおいしいと言ってくれた、家族は。

競馬場に行ってみた。姪と甥、チョップ君(留学生の仮名)と、母と母の友人と、その息子の騎手のレースを2レース観覧。
これもはじめての経験。柵のそばで見たら、ムチの音が聞こえた。
馬に乗ってる騎手は、かっこいい。ヘイヘヘーイ。

ペプシのきゅうり味をもらった。ボブ先生に。
姪に渡すと「これ、うまいね」といった。
「え、そうか?」と聞くと「うん」と返事。

そうはおもわないのだ。あんまうまくないよ、やっぱ。

青臭さ+メロンソーダ=キューリ・ペプシ

みたいな感じ。

そんなふうに味を伝えると、おいしそうに思えないけど、姪っ子みたいに好きな人もいるだろう。くせになるかもね
友達がブログでほめていたので読んでみた。小田扉。
短編集のようなもの、4冊。

全体的には、『そっと好かれる』のほうが好きだけど、『こさめちゃん』も悪くない。

「話田家」とか、すごくいい。
『ライフ イズ ビューティフル』くらいに素敵だ。

追記1
この前、バイトの人と海に行ったのだけど、意外と近いことが判明。

そんで、海に行って来た、ひとりで。意味なんかない。はじめてなので新鮮な気分で、そりゃあもう、はじめてビールの泡をなめた小学生みたいに複雑。

ほんのり、にがいぜい。

無料だったので、深川西から留萌への高速道路を走る。
なぜかしら、窓の外ながれる景色と音楽のシンクロに、ひとり感動。
誰も走ってないから、道路の真ん中で、車を停めてCDを変えてみたりした。

「さびしいなぁ、こりゃ」とかなんとか、ひとりごとをでかい声でさけぶ。おんなじ景色ばっかの田舎道で。

着いて、30分海をみて、家に帰った。
けつと腰が痛かった。

また行きたいな。

追記2
英検を受けてきた、準1級と2級。
中学のときに3級とってから、10年は経ってるけど、勉強した分、成長していてうれしくなった。俺は俺を肯定する、ちっさく。
でもさ、そこらへんの進歩史観って問題かねぇ。いや、わるくねぇよ。自己完結。
自己採点してみたら、わりとよくできてた。7割7分。
もし、マークミスと採点ミスがなければの話。

2級は、受けなくてよかったかもしれない。30分くらい時間余って、問題冊子にえびを書いたりした。えび、むずかしいぜ。

ライティングが心配。2次にすすめるといいな。

うかったら、1級、とりたいな。

追記3
このまえ、店長とか、バイトの人とかとドンキーでメシ食った。
腹とかへってなかったけど、まぁ。

なんやかんや話して、悩み事すくなそうだねと言われる。
「いやいや、絶望の日々送ってますよ」と答えて笑われる。

いやぁ、たしかにおかしいよね。全然、絶望なんかしてないもの。

なんかでも、方向転換したいなぁ。

ケーキとか作る人になりてぇもん。ぜんぜん、つくったことないけど。政治とか関係なさそう。技術の積み重ねがよさげ。うまいもん作っても、誰か不幸になることはないだろうよ。すてきすぎるぜ、製菓衛生士?

ただ、隣の芝生は青いからかも、センター試験で煮詰まったときとか、パントマイマーになりたかったし。

それに、となり町のケーキ屋(おっさんが手づかみでグロテスクなケーキをだす、変にかたい生クリームのまずすぎる商品しかない店)みたいに、いやいや続ける結果になっちゃう人もいるだろうし、なにやってもいい面と悪い面があるだろうけど。

まぁ、とりあえず、英検とボランティアとバイト、がんばるか。
そうだそうだ。うむ。
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傑作ぞろいと言われる岡崎京子作品のなかでも、誰もが「代表作」と言い切る作品。90年代はじめの「都会」に生きる高校生たちの姿を描く。

河口にほど近く、広く、ゆっくりと澱む河。セイタカアワダチソウが茂るその河原で、いじめられっこの山田は、腐りゆく死体を発見する。「自分が生きてるのか死んでるのかいつもわからないでいるけど/この死体をみると勇気が出るんだ」。過食しては吐く行為を繰り返すモデルのこずえもまた、この死体を愛していた。ふたりは、いつも率直で、「かわいい」ハルナにだけは心を許している。山田を執拗にいじめ抜くハルナの恋人、一方通行の好意を山田に寄せる少女、父親のわからない子どもを妊娠するハルナの友人。それぞれに重い状況を抱えた高校生たちがからみ合いながら物語は進行する。そして、新たな死体が、ひとつ生まれる。

本書は、93年から94年にかけて雑誌「CUTiE」で連載され、94年6 月に単行本化されたものの愛蔵版である。発表当時から多くの若者の心をとらえ、何年経ってもその評価が揺らぐことはなく、新たな読者を獲得し続けている。もちろん「若者」であっても、共感できる人もいれば、できない人もいるはずだ。

だがはっきりと言えるのは、本書が「読み物」としての興奮を存分に読者に与えてくれるものだということ。痛ましく、凄まじいこの物語に、きっちりと「おとしまえ」をつけて描き上げることのできる著者の圧倒的な力量には、誰もが魅せられるはずだ。(門倉紫麻)


行為に没頭していれば考えなくてもいい。仕事をしているとき、音楽を聴いているとき、映画をみているとき、バスケットボールをしているとき。何かをしているときの中には、うわの空になれる時間があって、その時はわりと幸せな気がする。

つまりは現実逃避ってやつだ。意識の真ん中に、どかっと座り込んでる問題にどこかへ行ってもらう、すこしの間だけ。

今日、素人が作ったドキュメンタリーフィルムを見た。社会問題を取り上げて、世直しのためにこんな行動してみましたよ、って話。

でも、内輪ノリでやっててクソつまんなかった。たぶん、あんなんじゃ、社会問題に興味のある人しか見ないだろう。受け手を限定するつもりはなかったんだろうけど、あんなの見る気しない。
社会風刺は、既知の問題を共有するだけじゃなくて、それを知らない人たちの精神構造を侵食して、向き合わせるくらい感動的じゃないと駄目だと思う。「そんな問題、どうでもいいじゃん」って人を感動させるくらいじゃないと駄目だと思う。
機能しないなら、その映画を見て行動を起こさせるようなものじゃないなら、風刺映画なんて、ただの愚痴だ。

映画に登場する人たちは、現状を見て悲しんでたりするけど、とくになにかをやるってわけでもない。見当違いの行為に没頭する人たちを見せられるだけ。全然、問題が見えてこない。

自分たちの無力さを見せるために撮ったのかと思った。

1キロの長さのマフラーをアフガニスタンに届けるのだって、ナンセンスだ。「かわいそうだ」と思うなら、それを編む時間を労働にあてて、稼いだ金をどっかの機関に、募金したほうがいいんじゃないかと思う。

結局、あの人たちのとって結果なんてどうでもいいのだ。「行為」への没頭それ自体が目的なんだから。
たぶん、あの映画の根底にあんのは、ナルシシズムとかエゴイズムに支えられたロマンティシズムだけ。現状が見えてこないのはそのせいだ。

ただ、見てて恥ずかしかったけれど、それって自分を省みてそうなったんだとおもう。たしかに、なにもやらないよりは、なにかしたほうがマシなことは多い。

嫌な気分。

絶望だったり、くよくよ悩むことだったり、そういうこと自体も何か別の問題を忘れるための行為だと思う。

人間はごはん食べて動いて、寝るだけじゃ駄目で、新しい刺激がないと頭がおかしくなる、って聞いたことがある。病院しかり、刑務所しかり、どこか窮屈に感じるのは、そこが外部から閉鎖されていて、新しい刺激の少ない状況だからだろう。

自分の行為に対して、同じ反応しか戻ってこない生活。実際ではありえない現象なんだけれど、日常って均一にみえがちなんじゃないだろうか。とくに日常が平坦に見えるとき、そんな錯覚があるとき、ってけっこうつらいとおもう。だから、ドラマチックに見せたがる。平坦に見える人生に、安易で大げさな起伏をつけたがる。

んで、「リバーズエッジ」

いまは2007年だ、このマンガが連載されていた1994年から、10年以上経ってる。で、そこらじゅういろんなものが溢れてる、もじゃもじゃとはみ出る勢いで表現がたくさんある。

そんなかで、悲惨なものも別に珍しくなくなった。暴力表現も性描写も、とりたてて騒ぐほどめずらしくない。むしろ、ハリウッド映画なんかじゃ、それを「売り」にしてる感じがするくらい多用してる。

最初、それは珍しくて衝撃的だったのかもしれないけれど、いまはそうじゃない。

メタルがあほくさいくらい様式化していて、そのテクニックのすごさが逆に物笑いの種にされるみたいに、パンクの定義が、ほとんど「ただのキャッチーな、3分ポップソング」になってるみたいに、大抵、消費されつくしたものは、製作者から離れて模倣されていく間に、その機能面に収束していくもんだと思う。

快感原則を知っている集団をターゲットにして、はみ出ない感じ。
ボーダーラインを踏み越えずに、とどまってる感じ

自分の中では、グランジとかヒップホップ、エレクトロニカや轟音系の音楽だって、消費されつくした感がある。消費されつくしたってのは、刺激に慣れてしまって、受け手の快感原則に取り込まれてるってことだ。もちろん、いつの間にか忘れてしまうものだから、いまだに感動するけど。

怖いのは、「リバーズ・エッジ」みたいなマンガを、マンガとしての機能面だけで捉えてしまうことだとおもう。おもしろい、引き込まれる。それは大事なんだろうけど、どうしてそんなふうに面白くする必要があったのかといえば、多くの受け手を獲得するためなんじゃないだろうか。そして、多くの受け手を獲得したかったのは、(お金儲け主義ってのもあるだろうけど)、たくさんの人たちと共有したい「主題」があったからだと思う。

90年代は絶望とシニシズムによりかかってた時代だったとおもう。印象でしかないけど、2000年代は、そういう絶望とは切り離された部分で暴力や性描写、死や孤独が描かれると感じる。
そういうものに慣れてしまっているからなのかもしれないけれど。

受け取った人々の間でモルヒネみたいに機能している物語。
現実感覚を麻痺させるだけの表現って、「現実逃避」っていう大事な機能を持ってるし、それはそれでとても重宝されているものだけど。

それでも、『世界の中心で愛を叫ぶ』みたいに、登場人物に感情移入させて殺すのが、「泣く」ために機能的に使われてるのっていやだ。

絶望「的」なものは、あくまで絶望じゃない。

時代も住んでる場所も違うけれど、表現を消費するときに、同じテンションで、受け取れたら面白いのになぁ。

追記
時間があるので、「すべての仕事は愛だ」って言葉、意味がわからないなりに解釈してみる。

とりあえず、それは「すべての愛は仕事だ」って意味じゃない。
「仕事」の定義域に収まってしまうもの、「仕事」って呼べるものすべてが、「愛」ってものの中におさまるってことだ。

「愛」と「仕事」の2つの円があって、ひとつの円がもうひとつの円にしっかりとおさまってるイメージ。

ってことは、どんな「仕事」をしていても、それは「愛」と呼べるってことだ。

例えば、保健所の方たちが近所をうろついている犬をつかまえて殺して焼く仕事も「愛」、料理をつくるのも「愛」、もちろん売春も「愛」だし、音楽を演奏してお金をもらうのも「愛」だ、ってことになる。

みんな、価値を生産する行為であると同時に、ある価値観を前提とした行為だとおもう。犬のうろついていない町を実現することだったり、おいしいものを食べて栄養を補給することだったり、性的な快楽を得る事だったり、音楽で感動を得ることだったり。

「そういうものは、あるいくつかの集団にとっては肯定されている」とまでは言わないけれど、そういうものは、そこで支配的な価値観に依存している。

犬が殺されて嫌な気分をする人も、町を犬がうろつくことには嫌な顔をするかもしれない。とりあえず保健所の人たち?は、町をうろつく犬に対して嫌な顔をする人たちのために、せっせと犬を殺すのだ。

わからないけれど、どんな仕事もそこから恩恵を受ける人もしくは動物や植物、対象がいるという意味で、「愛」であるってことなのかもなぁとおもう。

その恩恵の受け手が、どんなに少数だとしても、その行為を見下す人がいても、それは少なからず、ある人にとって「愛」のある行為ってことだろう。

んでもって、受け手のいない「仕事」がないように、仕事である「愛」は、一方的なものにはなりえない気がする。

ボランティアだって、なにかしら対価を受けているから。
お金じゃないもの、充実感とか。

善行にだって、自己愛が含まれている。

ある仕事の恩恵を受ける人が少なくても、「愛」ってことか。
「すべての仕事は愛である」って言葉は、大きさには言及していない。

それってけっこうな肯定じゃんとおもう。人間ひとりの行為の影響力の良し悪しも大小も、受け入れてしまうような言葉だとおもう。

って拡大解釈しすぎか。

「恩恵や効用の大きさで、「愛」の大きさを測るべきじゃない。」と言いたいがしかし、上のドキュメンタリー映画のやり方を批判してるってことは、上っ面とは矛盾してるね。

人の「善行」を、効用の小ささ、効率性で批判しちゃうのって人間が小さいよな。

文章書きながら、自分の首が絞まってく感じ。

そこらへん肯定しちゃえるくらいリベラルにつきぬけたいな。

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