黄色い本―ジャック・チボーという名の友人
2007年2月8日 読書Amazon.co.jp
寡作ながら時代のはやりすたりに流されない漫画を描き続ける、高野文子の4冊目の短編集。モダンで柔軟な絵柄と、ユーモラスかつ静謐(せいひつ)な描写と、高度で緻密な演出。これらが絶妙なバランスで同居する彼女の漫画の中には、さまざまな驚きと発見が隠されている。
たとえばロジェ・マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々』を題材にした表題作は、読書の醍醐味そのものを再発見させてくれる。主人公の女学生は、流れていく日々の生活の中で『チボー家の人々』をゆっくりと読破する。極端に言えばただそれだけの物語。しかし、だからこそ『黄色い本』には、本を読む習慣のある人間にとってたまらない感動が詰まっている。いい本に出合い、その世界の中に没入して読みふけり、ある種のせつなさと共に読み終える。この一連の流れの中で抱く読者の複雑な気持ちが、さりげないあの手この手によって見事に再現されてゆく様の、なんとみずみずしく美しいことか。
ほかに収録されているのは、縁の不思議を絶妙に描く2つの短編と、オリジナルとは視点を切り替えて描かれた冬野さほの短編漫画のカバー。どの内容も、一度読んだだけではとても味わいきれないほど奥が深い。よく理解できない箇所があっても、描写を手がかりに想像を駆使しつつ読み込めば、見えてくるものがある。そして、ああ、そうだったのか!と一度感動したら、また何度もじっくり読み返したくなる好循環。まさに一生ものの1冊。(横山雅啓)
↑大絶賛だね。
昨日おとつい、どうしてだか忘れたけれど、高野文子という漫画家の名前を知った。アマゾンで、別のマンガを探していたらたどり着いた。たぶん、アンダルシアの夏から黒田硫黄。そこから、色々な人のリストを辿っていって、「黄色い本」に遭遇したかんじだ。
彼女の作品についてレビューを書いた人のほとんどが、とても好意的に作品を受け入れていた。みんな、ほめている。
で、「おひょー、実は名作か。知らんだけで、有名人か」そんなこと考えながら、彼女の作品を3冊くらいカートに入れて、衝動買いしそうになったところで、やめた。
ちょっと高いよなぁ、って。
それから一夜明けて今日。夕方、家を出る時間を早めて、古本屋に寄ってみたらあった。300円で、背表紙が色褪せている「黄色い本」。
全然、状態よくねーなぁ。と思いつつ、レジに持っていって買った。
バイトの休憩時間に読んでみて思ったのは、おもしろいなぁ、ってことと、他の作品も読んでみたいなぁということだった。
ひさしぶりにマンガにはまった感じがする。
「黄色い本」では、日常が描かれている。荒唐無稽な冒険物語でもファンタジーでもなく、パワーインフレが起こるような格闘マンガでもない。
でも、その日常と自分を取り巻く社会の距離感が、とても気持ちいい。それに彼女の描き方にも、すごく魅力を感じる。
とくに表題作は、生活の細部に向けられる視点がありながら、描かれた世界がこじんまりとしていないところが、いいと思う。
定価で買って、ちゃんと感動したぶんの対価を作者にお返したほうがいいのかもしれない。
物語のテンポも好きだ。
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