もうちょっと考えてみた
2006年12月19日 映画Amazon.co.jp
「意外な結末」「ドンデン返し」などの形容で宣伝される作品でも、映画好きなら、ある程度結末を想像できる場合が多い。しかし本作は、ほとんどの観客の予想を超える展開をみせ、その意味で一見の価値がある。
豪雨のジャングルで訓練を行う米軍レンジャー部隊が行方不明となり、7人のうち5人が死亡したことが発覚。死亡者のなかには部下から憎まれていた教官が含まれ、生存者2名の証言もくいちがう。尋問の得意な元レンジャー隊員と女性大尉が真相に迫るが…。
ジョン・トラボルタ、サミュエル・L・ジャクソンの2大スターのクセ者的演技もさることながら、直情的な大尉のコニー・ニールセンや、謎めいた生存者のジョヴァンニ・リビシーらも役柄を心得た演技で、物語に真実味を与える。黒澤明監督の『羅生門』やチャン・イーモウ監督の『HERO』のように「だれの言葉が真実か?」という複雑怪奇かつ重層的なサスペンスを、1時間38分にすっきり収めたジョン・マクティアナン監督の手腕も評価したい。(斉藤博昭)
以下感想
バイト先の人が薦めていたので、見てみました。
全然、期待してなかったのですが、エンターテインメントとしてとても優れた映画だと思います。
あまりにもどんでん返しが多いために、思わず、どんでん返しをするために書かれたような脚本ではないかと考えてしまいました。
いくつかの視点が絡み合って、複雑に構成されていながら、舞台設定がわりとミニマムで引き締まっている印象を受けました。ジャンルはサスペンス・アクションかな?面白い。
以下日記
タカダさんに占いしてもらった。来年はわりと運勢が良いらしい。よかった。
自己愛というより、欲望のほうが言葉として適切かもしれない。「欲望とその充足」。その構造は、結局のところほとんどのものに当てはまるものだし、それを完全に排除したものって、はっきり言って「自己満足」でしかないんじゃないか。
経済的に見るなら「需要のない芸術が成り立つか」ってことだと思う。
こういう映画は、別に芸術的に見れば優れたものじゃないと思うけれど、娯楽としての需要を満たしてはいる。娯楽として求める人がいる(と推測できる)から、ビジネスとして成り立っているし、劇場で公開されたり、コレクターズエディションとかなんとか、特典のついたDVDが発売されたりするのだろう。
それ自体を、グロテスクだと思ってたら、独善に陥るだけで、世界を狭める気がする。ただ、その構造しかないものは自閉的だと思うし、全然「自由」じゃないとも思う。
その構造は、「束縛」でもあるし、マーケティングを考える際の方程式というか、装置でもあると思う。(むっちゃ推測、しかも、おおまか過ぎて意味ないかも。)
んでもって、調子づいてもうちょい考えてみる。
その装置しか持たないものは、ある集団の中ではちゃんと機能するし、その表現は何か価値を持つかもしれないけれど、それはその集団の欲望を満たすだけで、その外部の人々には何の価値ももたらさないように思う。
集団を国家単位にすれば、その構造はナショナリズムにもつながってるし、個人単位にすればナルシシズムにつながっているんじゃないだろうか。
もしかしたら、グロテスクだと思うのは、自分を大多数から分け隔てるための方便に過ぎないのかもしれないが。
ベン図っぽく考えたら、なにか一つの集団の欲望だけに従属するものなんて、ない気もする。
追記
アダルトの棚と図書館の棚には、どんな違いはあるだろうか?
本を読むほうが、タメになる気がするし。こんなアホな疑問って何の役にも立たないかもしれないが、これまたしつこく「欲望とその充足」に当てはめてみるとすこし面白く見える気がする。
あの棚を見る時の嫌悪感って、欲望の質の違いを差別化しながら見ているから生まれるんじゃないかと思う。
一方は性欲しか埋めないけど、もう一方は知識欲を含んだもっと広いものを充足する。
そんでもって、その欲望の「差別ランキング」を作ってるのって、自分自身なのだけれど、たぶんそのランキングを支えてる土台にあるのは、偏見と見栄なのだろう。
でも、その偏見が常識とかぶってると思うところが、自己中心的なのかもしれないし、ただ図書館で働けてないから、あんま変わらないと思いたいだけなのかもしれないが。
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