Most of the time

2006年11月27日
空虚な部分を完全に埋めるのは、無理だと思う。

埋めきった場所は、いつのまにか、空洞になっている。結局のところ、癒しによる「穴埋め」は、それに対してさらに空虚な気分を抱いてしまうような、いたちごっこにしかつながらないと思う。

ならば、それ自体を見つめるしかない。
空虚である部分を、空虚である所以を受け止めるべきなのだと思う。

目をそらさずに見てみることで、救われるかもしれない。
その構造を、少しでも変化することができるかもしれない。

って、そんなこと書いてあった。間違ってなければ、そんな解釈。

現実を認識して対峙していけば、たまに幸せを感じる時もあるはず、ってそう思わんとやってられん。
空虚な気分になっても、そっから脱出すればいい。時間がかかっても、努力する気力と体がある間は、それだけで生きていけるはずだと思う。そんな気力を持てなくなったときがやっぱ、キツイ。

今まで、絶体絶命な状況に置かれたことがないから、こんなお気楽で青臭い認識を晒せてるのかもしれないけど。

べつにいいや。

追記
実際、癒しや逃避を求めたいときばっかだ。
じゃなかったら、あんなポップミュージックばっか聴いてないと思うし、こんな現実から隔離されたものに、自己満足な文章のせてないと思う。

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